かみなし子こんにちは

取り留めなくおんなひとりの生活をつらつらと

かみなし子こんにちは

サービスによって人は磨かれる?ダメになる?つけあがる?

旅行が終わって喪失感とか無気力感とかが限りなく湧いてきてやりきれないために、無心で記事を書いているこの頃。宿レポ等も書こうと思っているときに、ふと今まで気になっていたことを思い出した。食レポに対しても同じことなんだが、これまで書かなかったケースがある。「リピートはしない」「おススメできない」ときだ。

 

 

旅の選択肢は失敗したくない

インターネットが大好きなので、ホテルや旅館、レストランの情報は口コミサイトやら個人ブログなどをひたすら見続けるわたし。公式のホームページやら、広告費使って書かれているガイドブックやパンフレット雑誌など、表向きな感想はあてにならないからだ。なるべく生の声と感じられる声を探す。

 

ネットで見かけた、自分が受けたサービスに文句を言い続ける人

その中でたまに見かけるのが、「必ず文句いう屁理屈蘊蓄垂れ流しぼやきおじさん」。単語は適当に並べただけだ。おじさんというのは、もう差別的かもしれない。が、女性よりは男性の方が多い気はする、個人的な感想です。たとえば食べログなどでそのおじさんに該当するアカウントを辿ると、どこのレストランでも、大概、例外はなしに否定形が入っている。そういうのを見た感想は「粗探しを毎回しとるんか?暇だな」というようなものだ。「一緒に行きたくないな」とも思える。

 

いつしか自分が「文句おじさん」に?

そして今回の旅で自覚したのは、「ここは残念」と思える点について、自分自身が前よりも多く気づいてしまったことだ。粗探しが上手くなってしまったのだ。

たとえば、オーダーを取りに来ない(明らかに忘れている)。

たとえば、他のテーブルに比べて忘れられている。

たとえば、名前を何度も聞かれる。

たとえば、同じことを別のスタッフに聞かれる。

そんな、些細なこと。

 

 

まぁこれまで東京でも旅先でも、仕事でもプライベートで「これは!」というサービスや料理に出会ってから、次はそれを超えるものを求めている自分がいるのだ。ここで自慢するつもりは毛頭ない。どちらかというと気づかないでいたい。楽しいことだけ感じていたい。気づかないふりをして、その体験を「楽しかった」「よかった」という感想だけで終わりたい。しかし、見えてしまう。気にしないようになんて出来ているわけないし、気づかないように、なんて思いはじめた時点で、すでにストレスになってしまっている。

 

もちろん、相性もある。たくさん話したいときは人懐っこい接客、放っておいてほしいときは一歩引いた接客を求める。このどっちつかずが面倒くさい客なのだろうか?まぁとにかく、人と人という話で、、横並びに「いい」「悪い」という話でもない。

 

はぁ、わたしは昔思った嫌な客になっているのか?同行者がいて本人が楽しんでいれば、もちろん黙っているが、テーブル全体が「あれ?」という雰囲気になってしまったら、「早く催促する前に気づいてくれ!」と祈るばかり。

 

そしてそのことをブログに書くなんてしたら?同じ轍なの?でも感じたことは感じてしまっているんだよ。

 

いたれり、尽くせりで自分がダメになる気もする

 

自分が手酌とか、ちまちまとつまむのが好きな貧乏なのだろうか。座って、なんでもかんでもしてもらっていると、少々ばつが悪く感じる。

そこは、わたしがケチだからなのかもしれないんだけど。捨てるほどお金があれば、失敗しても惜しくないし、素晴らしいサービスに出会えたときに惜しみなくチップを振りまくだろう。

 

実際には何もしてない。やっぱり偉そうかな。ごめんなさい。

 

もうちょっと惜しみなくお金を使ったり、良いものにははずめる気前の良さがあるといいのかもなぁ。

 

感情労働ではあるが、事実を淡々と書くことにする

色々な「べき」論もあるのだが、やはり個人のブログだし、わたし自身の記録という意味と思い入れが強いので、「あくまで個人の感想です」ということわりを付けて書いていくんだと思う。リアルな感想や事実は自分が探している時に欲しいものであることは間違いないし。

 

蛇足に次ぐ蛇足であるが、その場は黙っていてここで悪口だけ書いて憂さ晴らしをするつもりはなく、その場でスタッフが気づいて次に同じことをしないでほしいから、一言声はかける(注意や説教ではなく、催促や質問にとどめ?)。

他の人が同じ気持ちになって欲しくないし、どんどん良いサービスになってもらいたい。