今週のお題「卒業」
無理やりお題に食い込ませる
最近SNSでよく見かける。ラジオの投稿でも、そうかな。我が子の成長にホロリと。。といったことだ。会社の人も何人か休みを取っているから、参加するためなのだろう。
学校関係のイベントは、子どものいないわたしには永遠に関係ない。
感動することもない分、大変さに振り回されることがないし責任もない。
でもそれでいいのかなと思うことがたまにある。
まだ産める年齢。いや、本当は産めないのかもしれないけど。
でも、まだなんとかなるかもしれない。
でもでも、今は色々気力が起きない。必要性を感じなくなったから、色んな活動を辞めた。そうして、たまにこういうイベントを目の当たりにしたとき、見過ごしていくのがいいことなのか、自信がない。もしかしたら毎年感じるのかもしれない。
たまに、こういうホルモンバランスとか時間帯とかで、「人並みにできること」が出来ていないと落ち込むことがままある。
そういえば、これから学校の親戚いたの思い出した。そこに全振り課金厨おばさんになればいいだけか。
でも入学式とか卒業式っていわばハレの日であって、そこらへんで「ああ子どもが立派でよかった」とかむしろ成長が寂しいとか思えるのって、たまにあればいいかなくらいのレアケースなんだよね
それを聞いて、「ありがとうと言われて仕事してて良かったと思うけど普段は言われないし」みたいなことを思い出した。
でも仕事は、何が何でもするよね。例外はあるだろうけど、ご飯食べなきゃいけないし家賃払わないといけないから。
子育てもへんに神聖化しなくてもそういうことだよな。
いわばセックスしたらできちゃうわけだし。子ども。社会的になんとかしなきゃいけないんだし
へんに考える暇があるからこういうことになる
そうそう、わたしは今の経済力でまあまあ生きていけちゃうからあれなんよなー
年収400万円くらいの頃は結婚しないと経済力が、、と思うこともあった。
ぼーっとすることも、1人の贅沢
と言えば、そうだなぁ。
会社の人が休みを取るのが不思議でしょうがない。批判するつもりは全くなくて、むしろ有休ならわたしの方が取っているので。仕事の迷惑!とはひとかけらも思っていない。
思い出すと、自分が子どもの頃の学校関係のイベント、1つも出てくれなかったことが影響しているのかも。今の言葉でいえば母はものすごいワンオペの中で耐えていたのだなぁ。幼稚園からわたしは2人だったし、まぁその時代だと父親参加というのも少なかったのかな?地域にもよるだろう。
もしかしてまだそのことを恨んでいるのだろうか?まだ、消化できていないのだろうか。昇華させていられないのだろうか。
30も過ぎて。大丈夫かしら。
いやあ、春ですね。憂鬱です。