Amazonで、判断ミスでほぼ全員が津波で命を落とした小学校のルポが気になっていて、そのレビューの中の一つにあった一言が非常にそれだった。1年前の投稿。
「あの日を忘れない」ではない、私たちはまだ「あの日」を知らない
2011年3月10日。和歌山のアドベンチャーワールドに行った。九州新幹線の開業セレモニーは中止になったが、博多駅は綺麗でバカでかかった。
去年は大したことないことしか書いてなかったんだよな。だからこそ、今になって愕然としているというか。
今朝の日記にも書いたけれど、自分は落ち込む時、事故や事件や災害のことを調べる癖がある。それだけじゃなくても3.11に関するニュースは増えていたので、きっかけは充分にあった。最近見始めたYouTubeに、被災された方が撮影した臨場感ありすぎる動画を見た。泣き疲れた。被害の大きさも、巻き込まれる瞬間も、悲鳴も、泣き声も、救助の様子も見えた。その他にもニュースサイトやニコニコ動画でいろんな資料を見た。遺骸も、生き残った人の泣き叫ぶ表情も見えた。YouTubeは視聴回数に貢献することでアップした人の広告収入になるんだろうかと思うとモヤモヤした。使い道は私欲のためなのか、あるいは寄付に使うのかもしれないし、それはわからないから強く言えない。とりあえずリンクは貼らない(そういえば、わたしもこの記事で収入得ようとしてることに今気づいた)。
今年は(も)Yahoo!は大々的にやっているが、Googleはそれほどなんだろうか。でもこれは好きだった。今も見れるかな。
その他この辺はマスコミの情報。
当時は1人旅をしていて、地震発生時間は四国にいた。が、そのまま九州を目指し、日本海側を周って大阪をゴールにした。クレジットカードの残高はマイナスで、所持金も文字通り底をついたのだった。津波警報は目まぐるしかったが被害はなく、むしろ「関東から来ました」というと心配してくれて、人って温かいなぁと思った。コンビニや家電量販店での電池買い占めとかは見つけた。だから、当時からわたしは今までずっと、平和ボケしていたのかもしれない。
当日の夜はカプセルホテルでテレビをつけながら、気仙沼の火災を見た。次の日はマックでフェリーの運行を祈りながら津波警報の解除を待った。全く無駄だったけれど。その時間を除いては、こんなに簡単に現地の様子がわからなかったので、わたしは「津波」のことを本当に知らなかったんだなぁと打ちのめされた。8年目の今、である。前日は関東大空襲だったらしいが、自分のつながりで関係者を知らない。今回も幸い家族や友人が被害には遭っていないが、リアルタイムというのが大きい。語り部さんとか、自分より若かったりするのだもの。
阪神淡路大震災の頃は九州に住んでいて、下校してから初めてテレビでその様子を見た。熊本の震災は東京にいた、自宅で父とのんびりLINEで連絡をとっていた。
一度も震災を体験しないことは罪悪感を感じるのだが、なぜだろう。自分でもよくわからない感覚だ。先のVRやらなんやらで、景色に唖然とした。不自然で、人工的な、空き地。住民がいない。全然、復興できてないんじゃないの?これ。背けたらいけない現実が、数時間の距離で、確かに、ある。
自分にできることは、とりあえずこれからの防災だ。守れるものは守らないと。初めて開いたよ。。
ゥワァオ。。。
後は、寄付か。いくらにしようか、まだ迷っている。節約改め、ケチなわたしにはハードルだけれど、ボランティアもしたことない。独身子なしにできるのは、金による協力だー。子どもがいないと、誰かに託したくなるのかもしれない。金額は書かない。100円かもしれないし、1万円かもしれないし、書いたところでなんだか微妙になる気がする。
以下、旅の記憶と記録
あれ?やばい、降りるはずが、となった瞬間に撮った写真だと思う(13:09)。
多分お金がないから入ってないと思うけど、外から「ウヒョ~~0系!!」と興奮して撮ったもの(13:59)
暇すぎて外に出た(14:20)。
この後、母と電話をして、地震が起こっていることを知る。
不安なフェリーの旅、なぜ不安かというと第一原発の水蒸気爆発のニュースがやっていたから。途中でテレビは途切れたんだろうか。
呉についてすぐ広島を目指した。
終わり