自意識のお話。
今夜もエモエモ。
ちょっと、「嫌い」という、強い言葉を使用しているけども、何のことはなく、羨ましかったというだけです。未だに違和感とかモヤモヤという感触であり、ぴったりとした言葉が見つからない。
「女の子」という存在とリアル自分の関係性
女の子っぽくするのが、苦手だった。
女の子っぽくするという表現は正しいのかどうかよくわからないけど。
物心ついてから、「女の子である」と思うことができなかったんだと思う。
自分イコール女の子、同義。
いつからか「女の子らしい女の子」が自分以外にいて、その子とわたしは違う、と思うようになった。
女の子らしくする、女の子っぽい。
擬態する感覚。
そう、かみなし子のリアル人格、世界共通言語、”KO, JI, RA, SE"。
「KOJIRASE(ここで合掌)」
こじらせ女子については雨宮まみさんの著作で知ったよ。
今でも大好きで尊敬する女性。
一人称が名前であることは女の子らしいと思っていた
でもリアルなわたしはそれができなかった。常に「わたし」。
「あたい」と言っていた厨二時代もあったウッ頭が痛い
自分の近くにいた「〇〇(名前)は〜」と話している子は、可愛くて、お人形さんみたいで、周りから女の子であることを許された存在のように思えた。
いつしか男の子と追いかけっこをしていた自分には、それが許されないとも密かに感じていたようだ。
ふと、ここ数件の記事を書いている途中に気づいたんだけれど、もちろん「わたし」という一人称を使用してもいいのだが、それが似合わない気がしてきている。
他のブログであまり見かけないからなのかな。意識して周りを見ると、「筆者」「主」「管理人」色々あるようだな。
だからなんとなくね、自分のことを呼ぶときに、このハンドルネームにしてみたの。「かみなし子」と。
あと「ですます」調にするか、「である」調にするか問題も、よくあるね。これも、最初のうちはですますにしていたんだけれど、そのうち、なんか違うなって、であるになってきた。というか、〜〜なのね。みたいな。。
なんとなく某牛さん (id:holstein_ojisan) っぽくなっている気もするけど。。。
話題を戻す。
一人称名前をやっている。その感覚が気持ちいい。
昔は心の中で「あぁあの子は女の子らしいなぁ」と思ったり、「一人称名前で呼ぶ女はやばいよね」なんて少しバカにしたり(ごめんなさい)していながら、腹の底では羨ましかったのか。
そんな小さな復讐をすることで、カタルシスに近いものを感じている。
少女時代にリアルの自分で果たせなかった人格を、ブログで再生産しているのかな。
これこそ承認欲求かもしれないね。
しかしこの女子力薄いブログでよくこんなことぬけぬけと書いてるな、と、我ながら呆れるが、。
ブログのタイトル「かみなしソースで召し上がれ♡」にしようかな。
なんか、醤油を甘く焦がしたにおいがする…
それ、みたらし。
注:甘夏(id:amanatusauce)さんは一人称名前ではないです。念のため。
柑橘系の香りがふわっとする女の子に生まれたかった。