かみなし子です。
まぁまぁ気持ちが末期になったときに書き出したいなと思う時があって。メンメンヘラヘラした〜〜い!というときに楽しくなることがある。今ココ。
泣きたいから涙目にもなるしすぐイライラしたり。あるいは無表情、無感情、不感症。
多少躊躇うけど暗いこと書いちゃうね。それはこの先振り返ったとき「ああこんなこと考えてたな、ハハ」と軽く嘲笑するような機会がくるからである。わかっている。
年が明けて本厄の年。大厄でもある年齢。やっぱり何か魔物が棲んでいるのかしら。そういえば今年の抱負、まだ記事にしてないや。ちょっと重複するかもしれない。
この深い沼を抜け出すためにテンション上がることを考えた。すでに下書きフォルダで4,5日はこねくり回したらある程度気が済んだのでほぼその役割は果たしたのだけれど、アップしちゃう。箇条書き。
断捨離する
あらゆるものを捨てたいという欲望、現実逃避だろうか、そんな欲求が芽生えた。1つの引き出しに1つのものしか入っていないような。テーブルの上には何もないような。カフェやホテルのような部屋。カフェにもホテルにも行く気がしないのは家に帰ったところでごちゃごちゃが待っているから意味がないと思ってしまうから。実際収納やテーブルの容量は200%を超えている。でも服を捨てると着れるものがなくなる。捨てたところでも新しいものを買おうという気が起きない。自分が太っているという劣等感でアパレル店や試着の瞬間がいつまでも好きになれない。母からもらった服は親離れ出来ていない証拠か?という考え方が生まれたけれど急に着たくなって時代遅れの丈の長さにレトロな花柄のスカートを履いた。可愛いと褒められた。古いものに愛着のある性質には断捨離とかミニマリストは向いてないんだろう。てかミニマリストという言葉が正直苦手。ここでは詳しく書かないが。整えられたインテリアを見るのは好きだけど。
模様替えをする
大体、気を病むと模様替えをする傾向があると、この5、6年の一人暮らしでようやく気づいた。引越しと同じ感覚だろうか。季節柄もあるが友人の引越しの近況を聞くと羨ましい。でも今の家は条件も環境もほぼ不満ないし大好きなので。お金もかかる。ただマンネリ化はする。引越したつもりでお金をかけてみるのもいいか。でも今年は更新だった。とりあえずベッドを90度回転させたらある程度気が済んだ。人を呼ぶ予定も控えているが、ほぼ部屋の真ん中にベッドを置いて広いスペースが確保していない。でも毎日暮らしてるわたしは一人だから!!一人暮らしのわたしのためだけに!これは!やるの!の!!!!!
でも部屋は片付いていない。家具の配置が変わっただけ。
転職する
したい。何に?というかそもそも仕事したくない。仕事ができない人間なんだ。向いていないんだ。自信がない。でも仕事してると気が紛れるのも本当。仕事が好きという人が周りには多い。思考回路の違いか。もはや脳の作り方が違うのかな。
勉強をする
資格のための、あるいはただの勉強。上に関連するか。何か一人で進めることは楽しいかもしれない。けれど社会人になってから受けてきた受験は殆ど受かっていない。免許の更新くらい。それもゴールドにはまだならない。TOEICくらいは受けようかな。最後に受けた時に近い点を取る自信がない。
字を書く
手帳というか、メモ帳を持ち歩き、書く習慣がついたし、仕事でも手書きの機会が多いのだけれど、丁寧に書こうとすると気持ちが落ち着くことに気がついた。字は汚いけれど、綺麗に書く練習も出来るし丁寧に書こうとすることはできる。
絵を描く
ポーズが、あらゆる角度の表情が、老若男女が描けないもどかしさというのはあるが、紙に鉛筆を滑らせるという感覚は自然とドーパミンか何かが出てくる。時間の隙間でスケッチブックを開く習慣があるの、いいのかも。見るだけじゃなくてわたしも何かを生み出したい。
本を読む
新聞は読むようになったけれど、学生時代以来本は遠のいている。苦手意識というかコンプレックスがあるのかもしれない。活字を読まないわたし。本屋に行くと本が多すぎて何を読めばいいかわからないし、あまりに多すぎて、こんなにたくさんのメディアと向き合って無力感や敗北感を感じることがある。服もそうかな。買い物が、苦手なのだ、やっぱり。
これはレコード屋やレンタルショップで音楽や映画探すときも同じ感覚がある。
服を買う
脱「デブ思考」。ほぼこれまでの半生を通して占めている課題である。先ほども断捨離でも書いたが服を買うのが苦手だ。こんなわたしに似合う服がない、と根底にコンプレックスがあるのが理由だと思う。とはいえ腐って毛玉だらけの服を着続けるのも見苦しい。せめて清潔感のあるデブ、これを目指したい。30歳を過ぎて少し経つ。スタイルも作っていきたいものだ。でも今日の通勤服も古着デブババアであることは変わらない。
運動する
これはやってるけどやりすぎて倒れかけたりしてる。かといってサボる時は引きこもりを突き進む。2日に一度くらい、有酸素を少しくらいの習慣をつけるといいのかな。ジムに限ったわけでもないんだし、春だし通勤で歩くことにするかな。
宗教に走る
これは大したことはなくて、写経とか、集めている御朱印とか仏さまの絵を見返そうかなという感じ。神社なお寺は場所として好き。しん信仰宗教もネットワークうんちゃらもアレルギーで大嫌い。瀬戸内寂聴さんはわたしのメシア。あれくらい煩悩を突き進めつつ、文章を書く、最高の人生はないよな。
プチ整形をする
顔の造形は決して美人なタイプでは(シーナ・リンゴ)なくて、かと言って人生詰んだとも思わないちょうどいいというかいきすぎたナルシズムがあるので、自己防衛のために憂うことはそれほどない(デブのコンプレックスはあるけれど)。だが、わたしは顔に1センチほどのシミが2、3個ある。小学生くらいからあったような記憶があるがこれが最近本当に憂鬱の材料になる。毎回コンシーラーで隠していたけれどその行為がバカらしくなってきた。先日の旅行で隠しきれず写真では見えていた。フォトショップ〜〜!!
昔は特にどうすることもできないと思っていたけど、わたし今、お金持ってるじゃん。脱毛よりテンション上がるわ。脱毛したことないけど。知り合いがシミ取りしたって話を聞いて医院の名前聞いたからマジでやるわ。レーザーついでに脂肪も焼いて欲しい。皮がパリパリの焼豚っつって。やかましいわ!!!!!!!
遠くへ出かける
気づいたけれど旅行の予定がないので先の楽しみが感じられないのでは?とりあえず今の気分では週末に外食でもしようかなくらい。連れは持たず、1人で。と思ったけれど混雑でウンザリしたので立ち食い寿司の予定がスーパーの500円のおしゅしになったわ。ハイまたお金貯まる〜〜〜〜
スマホ・SNS断ちする
これでは?(解)
結果的に速度制限になった(別の機会に書くとする)のでちょうどいいことではないか。イライラし始めたら神さま(プロバイダ)からのメッセージということと受け取って、違うことをしよう。
メディアはradikoと新聞でいいの。いいのよ。ちなみにツイキャスも割と見れたし聴けたよ。
共通点
こうして書いていくと、暮らし、勉強(仕事)、美容の何かをするとテンション上がるかも、いや上げたいということなんだな。自分に自信をつけたいということが根底にあるかもしれないな。
こういうときはブログじゃなくて紙に全て書き出すのが効果的なのは知っている。まだやっていないけど。
おわり。
以下は読まなくていいのよ。
書き出したときは、最初の方にここまでいたるまでの近況を書いていたのだが、内容がひどいことになったので末尾に移した。字数が。スクロールバーがまたこんなちいちゃいことになって。
「死にたい」とは思わない。でも「生きていきたい」とも思わない。そんな、無気力感。惰性。先日もいつだかそんなツイートをしていたけれど、両親がいなくなったら希望はないのではないか、とぼんやり思い始めた。希望は、自分で作り出さないといけない。子どもは人生の暇つぶしと言った人を何人か知っているが、日常に振り回されながら、将来を持った小さな命と共に生きていくのはそれなりに喜びや使命感があるかもしれない。もちろんそれに責任やお金が伴うことは自覚している。その自信がないから踏み出せないのだろう。まぁ仮にそうするとして、そろそろ子どもを持つための準備をしておくべきだ。元々そのために貯金を始めたんだった。その前に結婚がある?その前に出会う?婚活?結婚出産のタイムリミット?それは「しなきゃいけない」という義務感になるだろう?そこで一旦絶望感を持つ。祖母の素行に辟易し、両親の老いも感じている中、終活の方がやる気を持ってできる気がする。後始末をしてくれる友人にも少しお金を配ろうかな。死後、アカウントは消してね。
そんなに病んではいないだろうなと思っていたけど、こないだお酒の勢いで先輩の前で号泣したわ。アイシャドウは銀座の夜に全て置いてきた。
また別の夜には割と近い男友達と飲んで、多分泣くのを堪えていたのが理由だったかとは後になって思うけど、不機嫌をぶつけていた。からみ酒。わがまま彼女かよ。後悔する酒は久しぶりだ(泥酔したり号泣するタイプの酔い方は後悔こそすれ楽しかったりカタルシスにはなるから)。面倒くさくてごめん、と謝り倒した。彼女ができた彼はもう2軒目には誘わない。うまくいっているよう様子で何よりなのに、わがままを言ってしまい、自分の寂しさは隠せない。
失くしたものが見つからないのも元気がない理由なんだろう。仕事してたら忘れられるから、それはそれで気が紛れて助かるけれど。(割愛するがこれは解決した)
この3週間くらいで2キロは太っていた。1キロ戻ったけども。精神的なはけ口を生活習慣にぶつけていたら持たないわな。お風呂も掃除も面倒くさい。人間らしい生活とは。文化的な生活とは。
あたそさんのこの記事大好き。
最近、久しぶりに休日の夜が嫌いだ。日曜日の夜。
この後、何もないなって。今まではその方が良かったのに。いや、予定があってもすごく面倒くさい。おはよう、おやすみを言える相手がいない。いやいても面倒だろうか。まぁ目的のない1人の時間。
幸せを探しているときって、自分の足元や周りを絶対見ていない。わたしにはこれがないあれがない、って、遠くを見て口を開けて泣き言と不満だけ垂れている。灯台の下は何色をしていたっけ?
少々昔のわたしは無敵感があった。たまに会える友人と家族がいれば幸せ。男もいらない。最後は家に帰って1人になりたい。部屋から東京湾方面のビルの夜景を見ながら、往来を歩く人を見下ろしながらタバコを1本。ネットで自己承認欲求と心地いい距離感の「交流」を演じて、時には悪口を言って、自分を棚に置き、間違っているわけなんかないと思い込む無敵感。
良い意味でも悪い意味でも諦念感がつきまとう。
静かに暮らすこと。喜びとは何だ?希望はあるのか?
なんつって。