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朝起きて、自転車に乗る機会があった。風を切る感覚。すごく久しぶりすぎて、すごく新鮮な感覚。都内にいて、徒歩と電車しか手段がないため。自転車欲しいかなぁ。。どうしようかなぁ。
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その後は用事があったので、日曜の街へ。休日、電車は乗らないのだが、やはり、乗っている人が違う。家族連れも、お年寄りも元気に出かけている。どれも通勤電車にはいない人たち。歩くスピードも話す声のボリュームもバラバラ、でも自由だ。通勤電車というのは護送車のような軍隊の車のような、謎の規律があるとすら思える(もちろん、乱す人もいるし朝のケンカも多いけれど)。
まぁ濁して書いているけれど、独りで出かけると、もう色々不快で。おかざき真理の漫画で、「横断歩道を一番最初に渡り終えるのは不機嫌な女」みたいなのがあったけれど、わたしそれかな。見苦しいかな。ぶらぶらするのがオシャレな印象もあるけれど、そういうことがわたしはできない。なぜか無駄に劣等感を感じている。だって、雑多な音があると、逃げ出したくなるんだもの。
あぁこれ、phaさんも言ってたなぁと後で気づく。情報が多すぎて疲れてしまう。
自分だけじゃないと思うとホッとする。外にいる人はほぼ総じて外にいることが好きなのだ。
やっぱり外出向いてなさすぎる。お年寄りがエスカレーターでつまづいて運転が急停止する。子どもを2人連れてベビーカーが電車に乗り込んでくる。心配にもなるし、たくましくもある。同時に、「あぁ自分にはできないな」と、身軽な一人の身ながら将来の可能性をつぶしておく。慣れてないからか相談しながらキョロキョロして、周りの流れを完全に無視して急に立ち止まる。わたしはそれを予測しながら歩くルートを考えなければいけない。歩行者天国には外国人がひたすら自分をおさめた写真を撮っている。外国人だけでもない、観光客はきっとそうね。きっとわたしも知らない土地ではやるんだろう。生意気ながら割と近所になるとそういう気が起きない。将来東京を離れることも考えれば、勿体ないことだろうし「今のうちに遊んでおかないと」という脅しのような声がどこかから聞こえてきそうだが、そう煽られると拒否したくなる天邪鬼なところはずっと変わらない。地元でだって留学先でだって、楽しめることはもっとあった。
子どものクシャミが飛んでわたしの両手にツバが飛び散った。うん、子どもだしツバも綺麗だと思おう。。。
早く帰りたい。
とはいえ、外出も楽しめる大人になりたい。カフェすら通うことは長続きせず、3カ月ぶりのフラペチーノも買って仕事場に持ち帰ったもの。だって外食の場も、冷静に考えたらコストも環境も良いと思えない。潔癖性ではなくむしろ自分の方が雑菌の保有数もすごそうなのだが、テーブルの上もトイレも気持ちいいとは思えないし、人との会話やら聞こえるのも疲れてしまう。結局先週も48時間以上は家から一歩も出なかった。中年の引きこもりが予想以上に多いというニュースが話題になっていたが、会社員だから辛うじて出ているだけで、わたしも30代ながら確実に予備軍だし、なんなら中年の危機にさしかかっていると思う。中年の危機についてはまた今度。
そんなことを思っていたら生理がきていた。しばらく便秘と、またおかしい頭痛と闘おうことになるが、、精神的には楽になる。トンネルを抜けたような。
旅行は好きだしテンションが上がるから色々と出かけるのだけれど、日常のお出かけを楽しむことは、ちょっとした課題である。
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